リベリアのエボラ流行が終結 2015年5月9日、WHO声明

(解説)リベリアでエボラ出血熱の最後の患者が死亡し、埋葬されてから42日間が経過したとして、世界保健機関(WHO)が5月9日、リベリアにおける流行の終結宣言を発表しました。ただし、ギニア、シエラレオネではいまも少数ですが症例の報告が続いています。リベリアについてもWHOは『ギニア、シエラレオネでは感染が続き、穴だらけの国境地帯から感染した人がリベリアに入ってくるリスクは残っている』として引き続き警戒の必要性を指摘しています。それでも西アフリカの流行国3カ国のうちの1カ国が流行終結を宣言できるところまでこぎ着けた。これは大きな成果です。
5月9日のWHO公式サイトに掲載されていた声明(英文)の日本語仮訳を作成しました。参考までに紹介します。

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リベリアのエボラ流行が終結 2015年5月9日、WHO声明
http://www.who.int/mediacentre/news/statements/2015/liberia-ends-ebola/en/

 本日2015年5月9日、世界保健機関(WHO)はリベリアがエボラウイルスの感染から自由になったことを宣言する。最後のエボラ確認症例の患者が2015年3月28日に埋葬されてから42日間が経過している。リベリアのエボラウイルス疾患のアウトブレークは終わった。

 1976年にエボラが初めて出現して以来、最も多くの死者が報告され、最大かつ最長にして最も複雑な流行に襲われた国にとって、感染阻止は記念碑的な成果である。感染が最も多かった2014年8月から9月にかけてリベリアでは毎週300件から400件の新規症例が報告されていた。

 この2カ月の間、首都モンロビアでは、西アフリカの流行の中でも最も悲劇的な場面が見られた。患者で一杯になった治療センターの門は閉ざされ、患者が病院の敷地内で死んでいった。そして遺体が何日もの間、収容されないまま放置されていることもあった。

 航空便はキャンセルされた。燃料や食糧はごくわずかしかなくなった。学校、企業、国境、市場、そして医療保健施設もほとんどが閉鎖された。恐怖と将来への不安、家族やコミュニティや国とその経済への不安が国内を覆った。

 首都の被害が最も大きかったが、症例はリベリアの15の郡のすべてから報告されていた。国内のどこにもエボラ患者を受け入れられるベッドがなくなってしまった時期もあった。感染した人や遺体が家やコミュニティに残されたままになっていて、さらなる感染をほとんど保障しているのではないかと思われる時期もあり、エボラがリベリアで風土病化し、厳しい環境の中で健康への脅威がさらに永続的に加わることを心配する専門家もいた。

 エボラと戦う決意を揺るぎなく保ち続けたリベリアの政府と国民、そして感染防護用具の供給も研修も十分ではない中で、治療を続けた医師、看護師に賛辞を贈りたい。計375人の医療従事者がエボラウイルスに感染し、189人が亡くなっている。

 エボラの流行を終りに導き希望をとりもどすために治療センターや埋葬チーム、救急車の運転などのボランティアで働いた地元の人たちは、コミュニティへの責任感と国に奉仕する精神に支えられてきた。報告症例が指数関数的に増加していくにつれて、国際社会の援助も投入されるようになった。これらの努力のすべてが新規症例をゼロに抑えるための力になった。

 リベリアにおける最後の症例は、モンロビア首都圏に住む女性で、3月20日に発症し、3月27日に死亡している。感染源は依然、調査中だ。この女性と接触し、感染の可能性がある332人が特定され、集中的な監視を行った。その結果、症状が現れた人は一人もなく、全員の監視が解かれている。

 保健担当者は新規症例に対し高度な警戒を続けてきた。4月中に国内の5カ所のエボラ専用ラボラトリーは毎週約300検体を調べた。すべて陰性だった。

 WHOはリベリアに関しては感染が止まったことを確信していたが、ギニア、シエラレオネでは感染が続き、穴だらけの国境地帯から感染した人がリベリアに入ってくるリスクは残っている。

 リベリア政府は引き続き高度の警戒態勢を維持すべきことは認識しているし、そのために必要な経験も、能力も、国際支援もある。対策は流行のコントロールから輸入症例の警戒と基本的な保健医療サービスの回復へと移行し、WHOは今年末まで、引き続きリベリアにスタッフを配置する方針だ。


流行の経過
 流行の開始は一見、緩やかだった。2014年3月23日にWHOがギニアで最初の症例を確認した後、保健担当者は警戒を強めた。リベリアの最初の2症例は2014年3月30日、ギニア国境に近い北部のローファ郡で確認されている。

 4月7日にはさらに5件を確認。4件はローファ、1件はモンロビアだった。5人とも死亡した。その後、状況は安定化し、4月および、5月のほとんどの間、新規症例報告はなかった。

 6月の初めに新たな症例を確認。主にローファ郡だった。ただし、他の地域と比べても、状況が警戒すべき傾向にあるようには見えなかった。6月末時点で、リベリアの症例は41件、ギニアは390件、シエラレオネは158件だった。

 状況が落ち着いているように見えたのは幻想だった。6月半ばにはモンロビアで新たな症例が報告されていた。モンロビアは感染の猛襲に対する準備ができておらず、ウイルスは病院やコミュニティ、そして実質的にその周辺全域に広がっていった。

 症例数は指数関数的に何倍にも急増していった。8月6日にはエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領が3カ月間の国家非常事態宣言を発令し、沈静化のために数項目の厳しい対応策を発表した。

WHOの緊急援助チームは8月中旬、モンロビアには感染している患者を治療するだけでも1000病床が必要だと推計した。利用可能な病床数は240しかなかった。

 9月には建設労働者100人により、WHOの新たな治療センター建設が始まった。アイランドクリニックが9月21日、公式にWHOからリベリア保健社会福祉省に委譲された。クリニックは病床不足のモンロビアに新たに150病床を提供することになった。しかし、開設24時間後にはクリニックは患者であふれ、治療のための追加病床が絶望的なまでに不足していることが示された。

 WHOはさらに400病床を追加する2カ所の治療センター建設を支援した。残るニーズについては複数のパートナー機関が対応した。とりわけモンロビアにおける治療能力の急速な拡大が流行の行方を大きく変えたと思われる。

 新規症例を早期に追跡、特定し、ただちに隔離して治療を提供したこと、死者の尊厳を保ちつつ安全に埋葬できる方法の普及につとめたことによって、流行は10月後半から縮小を始めた。死亡率も低下した。生存者数が増えるに従い、治療センターに対する社会の見方も「死を仕掛ける罠」から希望を提供する場へと変わっていった。こうした認識の変化が患者に対しより早期に治療を求めることを促すかたちになった。

 新規症例発生率は11月半ば以降1日あたり10~20例程度に減っている。2015年の初めにはさらに減少し、事実上、最後のいくつかの感染の連鎖を追跡、調査できるところまでこぎ着けた。3月下旬からは症例ゼロの報告が毎日、続いた。


成功に寄与した要因:大きな夢

 リベリアのエボラ対策の成功には多数の要因が寄与している。

 第一の決定的要因はサーリーフ大統領が示したリーダーシップである。大統領はこの病気を「経済と社会組織」に対する国家的な危機としてとらえ、多分野にまたがる政府担当部局に対し優先的に対策に取り組むよう指示した。彼女の迅速で時にはタフな意思決定、および積極的に社会とのコミュニケーションをとり、流行の現場にも赴く行動力がこのリーダーシップを表わしている。

 彼女は有名な回想録の中でこう述べている。「夢の大きさは常に、いまのあなたの能力を超えていなければならない。たじろぐほどの夢でなければ、あなたにふさわしい夢の大きさだとはいえません」

 第2に、保健担当者とそのパートナーが、コミュニティの関与の重要性をいち早く認識したことだ。それぞれのコミュニティで信頼される人物にリーダーシップを発揮してもらわなければ社会はうまく動かない。保健チームはこのことを理解した。チームのメンバーが村長や宗教指導者、女性や若者の団体の指導者の助けを得るために働きかけ続けた。

 流行沈静化の最初の徴候の一つは、初期の流行の中心であり、2014年8月下旬には1週間で150症例を超えていたローファ郡の報告が9月に減少しだしたことだ。疫学者は後に、複合的な対策のパッケージが減少をもたらす成果となったとして、コミュニティの積極的な関与が重要な役割を担っていたことを強調している。

 ローファでは、WHOの郡事務所の職員が村々を訪ね、村長や宗教指導者に協力を依頼して歩いた。コミュニティの実行委員会が作られ、各家庭を一軒ずつ訪ねて理解を求め、感染の可能性があるケースを報告し、保健チームに支援を仰ぎ、接触者追跡調査を行った。

治療センターの壁は中が見えるものに取り替え、内部で何が行われているのかを家族や友人が見られるようにした。さまざまなうわさが根も葉もないものであることを示すためだ。治療施設への輸送や埋葬チームへの依頼には迅速に対応し、支援チームに対する信頼を築きあげていった。

 いたるところでこうした効果的な対応を繰り返したことが第3の要因につながった。資金や物資、人材を含めた国際社会の寛大な支援である。そのおかげでより多くの治療病床が確保でき、検査能力が増し、接触者追跡調査や埋葬チームの対応力も拡大した。数カ国から派遣された自給自足型の海外医療チームは、流行対応に劇的な影響をもたらしている。

 最後に国際支援と国内対応とをしっかりと調整することが、成功には不可欠である。国際支援の初動は遅かったが、到着してからの活動は充実していた。エボラに関する大統領諮問委員会や発生管理システムの導入などが資源と能力を必要なところに適性に配置する上で大きな助けになった。

 こうした教訓と体験の多くは、他の西アフリカにおけるすべての症例を2015年6月中に特定するためのWHOの新たな対応計画に反映されることになる。





The Ebola outbreak in Liberia is over

WHO statement
9 May 2015

Today, 9 May 2015, WHO declares Liberia free of Ebola virus transmission. Forty-two days have passed since the last laboratory-confirmed case was buried on 28 March 2015. The outbreak of Ebola virus disease in Liberia is over.

Interruption of transmission is a monumental achievement for a country that reported the highest number of deaths in the largest, longest, and most complex outbreak since Ebola first emerged in 1976. At the peak of transmission, which occurred during August and September 2014, the country was reporting from 300 to 400 new cases every week.

During those 2 months, the capital city Monrovia was the setting for some of the most tragic scenes from West Africa’s outbreak: gates locked at overflowing treatment centres, patients dying on the hospital grounds, and bodies that were sometimes not collected for days.

Flights were cancelled. Fuel and food ran low. Schools, businesses, borders, markets, and most health facilities were closed. Fear and uncertainty about the future, for families, communities, and the country and its economy, dominated the national mood.

Though the capital city was hardest hit, every one of Liberia’s 15 counties eventually reported cases. At one point, virtually no treatment beds for Ebola patients were available anywhere in the country. With infectious cases and corpses remaining in homes and communities, almost guaranteeing further infections, some expressed concern that the virus might become endemic in Liberia, adding another – and especially severe – permanent threat to health.

It is a tribute to the government and people of Liberia that determination to defeat Ebola never wavered, courage never faltered. Doctors and nurses continued to treat patients, even when supplies of personal protective equipment and training in its safe use were inadequate. Altogether, 375 health workers were infected and 189 lost their lives.
 
Local volunteers, who worked in treatment centres, on burial teams, or as ambulance drivers, were driven by a sense of community responsibility and patriotic duty to end Ebola and bring hope back to the country’s people. As the number of cases grew exponentially, international assistance began to pour in. All these efforts helped push the number of cases down to zero.

Liberia’s last case was a woman in the greater Monrovia area who developed symptoms on 20 March and died on 27 March. The source of her infection remains under investigation. The 332 people who may have been exposed to the patient were identified and closely monitored. No one developed symptoms; all have been released from surveillance.

Health officials have maintained a high level of vigilance for new cases. During April, the country’s 5 dedicated Ebola laboratories tested around 300 samples every week. All test results were negative.

While WHO is confident that Liberia has interrupted transmission, outbreaks persist in neighbouring Guinea and Sierra Leone, creating a high risk that infected people may cross into Liberia over the region’s exceptionally porous borders.

The government is fully aware of the need to remain on high alert and has the experience, capacity, and support from international partners to do so. WHO will maintain an enhanced staff presence in Liberia until the end of the year as the response transitions from outbreak control, to vigilance for imported cases, to the recovery of essential health services.


Evolution of the outbreak
The start of the outbreak was deceptively slow. Health officials were on high alert for cases following WHO’s confirmation, on 23 March 2014, of the Ebola outbreak in Guinea. Liberia’s first 2 cases, in the northern county of Lofa near the border with Guinea, were confirmed on 30 March 2014.

On 7 April, 5 more cases were confirmed, 4 in Lofa and 1 in Monrovia. All 5 died. The situation then stabilized, with no new cases reported during April and most of May.

Further cases were detected in early June, mainly in Lofa county, but the trend did not look alarming, especially when compared with the situation elsewhere. At the end of June, Liberia reported 41 cases, compared with 390 in Guinea and 158 in Sierra Leone.

The impression of a calm situation turned out to be an illusion. The first additional cases in Monrovia were reported in mid-June. The city was ill-prepared to cope with the onslaught of infections that rapidly followed as the virus raced through hospitals, communities, and eventually entire neighbourhoods.

Case numbers that had multiplied quickly began to grow exponentially. On 6 August, President Ellen Johnson Sirleaf declared a three-month state of emergency and announced several strict measures aimed at getting cases down.

In mid-August, a WHO team of emergency experts estimated that Monrovia needed 1000 beds just to treat currently infected patients. Only 240 beds were available.

In September, WHO began construction of a new treatment centre, using teams of 100 construction workers labouring in round-the-clock shifts. On 21 September, the Island Clinic was formally handed over by WHO to Liberia’s Ministry of Health and Social Welfare. The clinic added 150 beds to Monrovia’s limited treatment capacity. However, within 24 hours after opening, the clinic was overflowing with patients, demonstrating the desperate need for more treatment beds.

WHO supported the construction of 2 additional Ebola treatment centres, augmenting Monrovia’s treatment capacity by another 400 beds. The remaining need was eventually met by multiple partners. The rapid increase in treatment capacity, especially in Monrovia, likely did much to turn the outbreak around.

The outbreak began to subside in late October, when more new cases were detected early and rapidly treated in isolation, and more safe and dignified burials were performed. Case-fatality rates dropped. As the number of survivors grew, public perceptions changed from viewing treatments centres as “death traps” to seeing them as places of hope. That altered perception, in turn, encouraged more patients to seek early treatment.

The incidence of new cases stabilized in mid-November, with daily reports showing only 10 to 20 new cases. During the early months of 2015, cases dwindled further, eventually allowing detection and investigation of the last remaining chains of transmission. From late March on, daily reports consistently showed zero cases.

Factors that contributed to success: big dreams

A number of factors contributed to the success of Liberia’s Ebola response..

The first decisive factor was the leadership shown by President Sirleaf, who regarded the disease as a threat to the nation’s “economic and social fabric” and made the response a priority for multiple branches of government. Her swift and sometimes tough decisions, frequent public communications, and presence at outbreak sites were expressions of this leadership.

As President Sirleaf famously stated in her memoir, “The size of your dreams must always exceed your current capacity to achieve them. If your dreams do not scare you, they are not big enough.”

Second, health officials and their partners were quick to recognize the importance of community engagement. Health teams understood that community leadership brings with it well-defined social structures, with clear lines of credible authority. Teams worked hard to win support from village chiefs, religious leaders, women’s associations, and youth groups.

One of the first signs that the outbreak might be turned around appeared in September 2014, when cases in Lofa county, Ebola’s initial epicentre, began to decline after a peak of more than 150 cases a week in mid-August. Epidemiologists would later link that decline to a package of interventions, with community engagement playing a critical role.

In Lofa, staff from the WHO country office moved from village to village, challenging chiefs and religious leaders to take charge of the response. Community task forces were formed to create house-to-house awareness, report suspected cases, call health teams for support, and conduct contact tracing.

See-through walls around the treatment centre replaced opaque ones, allowing families and friends to watch what was happening inside, thus dispelling many rumours. Calls for transportation to treatment facilities or for burial teams were answered quickly, building confidence that teams were there to help.

The effectiveness of this response, which was duplicated elsewhere, points to a third factor: generous support from the international community, including financial, logistical, and human resources. This support added more treatment beds, increased laboratory capacity, and augmented the number of contact tracing and burial teams. The deployment of self-sufficient foreign medical teams from several countries had a dramatic impact on the outbreak’s evolution.

Finally, strong coordination of the international and national response was essential for success. International support was slow to start, but abundant when it arrived. Innovations such as the Presidential Advisory Committee on Ebola and introduction of a incident management system helped ensure that resources and capacities were placed where needed.

Many of these lessons and experiences are reflected in WHO’s new response plan, which aims to identify all remaining cases in West Africa by June 2015.

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