国際感染症関係論7-13

(解説)Sankei Express紙に週1回(金曜日)連載中の「国際感染症関係論」の続きです(ほぼ12月、1月掲載分)。筆者はAIDS&Society研究会議の理事であり、HATプロジェクトの担当者でもある産経新聞編集長、宮田一雄で、HIV/エイズを中心に感染症と社会をめぐる話題を取り上げています



国際感染症関係論7 ひとつの時代を画する選挙

 世界保健機関(WHO)の事務局長選挙の最終投票で、中国推薦のマーガレット・チャンWHO事務局長補(感染症担当)は24票を獲得した。メキシコのフリオ・フレンク保健相は10票だった。票数で見れば、その前の投票で3位となって脱落した尾身茂WHO西太平洋事務局長の9票がそっくりチャン氏に回ったかたちになる。
 中国を除くアジアの国はすべて尾身氏に投票していたようなので、アジア票が最終投票を決したともいえる。
 エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染が今後、世界で最も増加するのは東アジア、とりわけ中国だと考えられている。鳥のインフルエンザウイルスH5N1が変化して人の新型インフルエンザの流行が始まる場合、その最初の流行地が中国になる懸念も捨てきれない。
 感染症分野の超不安大国・中国に隣接する日本にとって、地球規模の感染症対策への支援は安全保障の観点からも重要である。尾身氏の可能性が消えた以上、最終投票で日本がチャン氏支持に回ったのはひとまず、妥当な判断だったが、保健分野での外交的敗北は政府にも相当、応えたようだ。
 厚生労働省には武見敬三厚労副大臣や辻哲夫事務次官ら幹部による国際戦略練り直しのためのワーキンググループができたという。12月4日付の産経新聞には、選挙で陣頭指揮を執った武見副大臣のインタビュー要旨が掲載されており、「苦戦は予想外か」との質問には次のように答えている。
 「保健医療分野では日本が途上国の支持を幅広く得ていたため、当初は尾身氏が有利だと思っていた。だが今は国連での中国の影響力が拡大している過渡期だ。今回の選挙は、このような過渡期における各地域の対応が見えた点で一時代を区分する選挙だったと認識すべきだ」
 北京ではWHO事務局長選挙直前の11月3日から5日までアフリカ首脳会議が開かれ、中国政府からアフリカ諸国の首脳レベルに対する熱心な協力要請があったという。あざといまでの中国の援助外交は逆に、日本のうかつさを印象付けるかたちにもなった。


国際感染症関係論8 世界エイズデーのメッセージ

 毎年12月1日の「世界エイズデー」には、世界中でエイズ対策に理解を呼びかける街頭キャンペーンやコンサートなどが繰り広げられる。新聞やテレビがエイズについて取り上げる回数も増え、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染している人たちが社会に向けたメッセージを発する機会もまた、多くなる。
 東京の場合、今年はその世界エイズデーをはさんで11月30日から12月2日まで第20回日本エイズ学会学術集会・総会も開かれた。
 世界保健機関(WHO)の事務局長選挙について書いているうちに12月1日が過ぎ、エイズ学会も終わってしまったので、やや時期を失した感もないことはないが、エイズの流行のように長期にわたって継続する現象には、マスメディアが息切れすることなくカバーを続けていくことも大切だろう。タイミングに過度にこだわることなく、視野を少し広げてエイズデーに関連した話題を取り上げていきたい。
 20回の節目となった今年の日本エイズ学会は「Living Together ネットワークを広げ真の連帯を作ろう」がテーマだった。私も運営委員の1人だったので、身びいきがあるかもしれないが、今年はシンポジウムや研究発表などにHIV陽性者の積極的な参加が目立ち、討議の内容も日本のHIV/エイズの現実を反映したものになっていた。
 一方、厚生労働省とエイズ予防財団が公募して決めた今年の世界エイズデーの国内キャンペーン・テーマは「Living Together~私に今、できること~」。公募というプロセスを経ているとはいえ、選考にはエイズ学会と歩調をあわせてキャンペーンを進めていこうとする政策的な意思が曲がりなりにも感じられる。
 両方に共通するのはつまり、世の中にはHIVに感染している人も、していない人も、ともに生活しているというごくごく当然な事実を再認識しようというメッセージである。国内のHIV陽性者は厚労省エイズ動向委員会の報告ベースでも1万人を超えている。次回は「Living Together宣言」について報告しよう。


国際感染症関係論9 見えない現実を見る工夫

 12月1日の世界エイズデーに先立って世界保健機関(WHO)と国連合同エイズ計画(UNAIDS)が発表した報告書によると、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染している人は、2006年末現在の推計で3950万人に達し、その63%の2470万人がサハラ砂漠以南のアフリカ、22%にあたる855万人がアジアの人たちである。
 一方、厚生労働省のエイズ動向委員会の報告を見ると、国内では今年10月1日までに1万3304人のHIV感染者・エイズ患者が報告されている。この間のエイズによる死亡報告は約1400件なので、報告ベースでもすでに1万2000人近いHIV陽性者(エイズ患者・HIV感染者の総称)が日本で生活していることになる。
 日本および世界のこうした現実を踏まえ、エイズ対策のNGO(非政府組織)やHIV陽性者団体のメンバーが11月16日、行政機関とも協力して始めたキャンペーン「コミュニティ・アクション06」の中で「Living Together宣言」を発表した。キャンペーンの実行委員会には私も加わっていることをお断りしたうえで宣言をご覧いただこう。
 《わたしたちはこの世界にHIV/エイズがあることを知っています。それがさまざまな困難を与えるということ、しかしその困難は乗り越えられることも知っています。そしてHIV/エイズはどこか遠い国ではなく、日々の生活の中にあります。
 わたしたちはすでに、HIVというウイルス、エイズという感染症の流行が広く世界に存在する社会に生きていること、HIV陽性者であるかどうかにかかわりなく、同じ困難と同じ希望を共有して生活していることを確認し、ここにHIV/エイズの時代をともに生きる「Living Together」の意志を宣言します》 
 コミュニティ・アクションのウエブサイトでは、宣言の賛同者の署名を募っている( http://www.c-action.org/declaration/ )。インターネットを通じて署名を行なうという小さな行為が、見えない現実を認識する最初の1歩になることもありうるからだ。


国際感染症関係論10 現在進行形の重大な危機

 2007年がどんな年になるのか。新しい年を迎え、新聞やテレビ、雑誌にはさまざまな予測が取り上げられている。制作上の都合もあるから、その多くは昨年の暮れのうちに準備していたものだろうが、「確実に起きる」と断言できる現象もあれば、「分からないけれど、ひょっとすると」という予測もある。
 地球規模の感染症に関していえば、エイズの流行の拡大はすでに進行している現象の継続であり、不可避の予測といっていい。
 「ひょっとすると」の代表は新型インフルエンザである。高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1の人への感染がインドネシアなどで散発的に続き、世界中の専門家が「問題は流行が起きるかどうかではなく、いつ起きるのかということだ」と警告している。ただし、その「いつ」が1年以内なのか、それとももう少し先になるのかとなると予測は困難だろう。
 そう遠くない将来の危機に備え、日本を含めたアジア諸国は、新型ウイルスの発生をいち早く察知し、地域的な流行で封じ込めるための早期警戒体制の構築を急いでいるところだ。
 この連載では今年も、近未来の危機である新型インフルエンザの動向に目を配りつつ、ゆるやかではあるが現在進行形の重大な危機としてのエイズの流行を中心に取り上げていきたい。国連合同エイズ計画(UNAIDS)はウエブサイトで「2006年はエイズ対策において重要な年だった」と昨年1年間を振り返っている。
 《いくつかの国で感染率の低下が報告され、若者の性行動にも感染の予防に前向きな傾向が見られるものの、世界全体のHIV陽性者数は4000万人近くに達し、過去最高となった》
 流行の拡大傾向に歯止めをかけ、縮小に転じるにはどうしたらいいか。この大目標に向かって昨年5月31日から6月2日まで、ニューヨークで国連エイズ対策レビュー総会が開かれた。UNAIDSが「エイズ対策への政治の関与はこれまでで最も高まった」と評価するこの特別総会で何が議論され、どのような成果があったのか。もう少し詳しく報告していこう。


国際感染症関係論11 約束は果たされているのか

 国連エイズ対策レビュー総会は2006年5月31日から3日間、ニューヨークの国連本部で開かれた。レビューとはつまり、検証である。いったい何を検証する総会だったのか。
 国連は毎年9―12月の総会通常会期のほかに、特定の課題にしぼって短期の特別総会を開催することがしばしばある。エイズをテーマにした総会としては、01年6月25日から27日まで国連エイズ特別総会が開かれており、昨年のレビュー総会は2回目だった。
 そもそも単一の病気をテーマに総会が開かれること自体が国連史上、異例のことであり、しかも21世紀に入って立て続けに2回も開催されている。これまでの動きをたどりながら、なぜ世界はこれほどエイズとの闘いに真剣なのか探っていこう。
 01年のエイズ特別総会は、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染予防や感染した人たちへの治療、ケア、支援などの対策を通じてエイズの流行を拡大から縮小に転じることを目指すコミットメント宣言を採択している。
 宣言には世界が達成すべき数値目標が盛り込まれ、各国は03年までに国のエイズ対策計画を策定し、05年には計画を実行に移し、10年に具体的な成果を示すとの約束(コミットメント)を行なった。
 5年後のレビュー総会が検証したのは、まさしくその約束の実施状況である。中でも焦点は治療のアクセス(通路)、つまり必要な人に必要な治療が保障されているかどうかだった。
 エイズ治療は1990年代に大きな進歩をとげ、HIVに感染しても治療薬でエイズ発症を長く抑えることが期待できるようになった。このため、先進国では96年以降、エイズによる死者が激減したが、途上国ではいまなお、年間300万人近くが死んでいる。
 このような生命の格差を放置して何がエイズとの闘いだ、という怒りの声にこたえるため、国連合同エイズ計画(UNAIDS)と世界保健機関(WHO)は「3バイ5」計画を打ち出した。05年までに途上国のHIV陽性者300万人に治療のアクセスを確保するという野心的な計画である。


国際感染症関係論12 治療の進歩と生命の格差

 エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染し、生命の危機に直面している途上国のHIV陽性者に対し、必要な治療を提供する「3バイ5」計画は、国連エイズ特別総会が開かれた2001年あたりから世界保健機関(WHO)の専門家らを中心に構想の検討が進められていた。
 昨年急死した李鍾郁事務局長の指導力のもとで構想が具体化し、WHOと国連合同エイズ計画(UNAIDS)が計画の発進を宣言したのは03年12月1日の世界エイズデーである。「3バイ5」の「3」は300万人、「5」は2005年を示している。
 つまり、途上国のHIV陽性者300万人に対し、05年末までにエイズの発症や症状の進行を防ぐ抗レトロウイルス治療を提供するのが計画の目標である。背景には、1990年代のHIV/エイズ治療の進歩とアフリカにおけるエイズの流行の拡大があった。
 HIVの増殖を妨げる抗レトロウイルス薬は80年代後半から開発されていたが、副作用がきつかったり、薬が効かない薬剤耐性ウイルスがすぐに出現したりして、十分な治療効果をあげることができなかった。
 しかし、単独では効果が薄くても、何種類かの薬をうまく組み合わせて使うと高い治療効果があることが96年ごろから報告されるようになり、結果として先進国では年間のエイズによる死者数が激減するほどの延命効果が確認されている。
 ちょうど同じ頃、アフリカではエイズの流行が急速に拡大し、治療法はあるのに貧困のため薬が手に入らず、多数の人が死んでいく現実が国際会議などで報告されるようになった。
 治療を受けなければ2年以内に死ぬと予想される途上国のHIV陽性者の数は、「3バイ5」計画が発進した03年時点で推定600万人。計画が完全に目標を達成したとしても、治療が受けられるのは半分だけで、残る300万人は死んでいくことになる。
 途上国と先進国の貧富の差がそのまま生命の格差につながる厳しい現実の中で、何もせずにはいられないという国際社会の止むに止まれぬ思いから生まれたのが「3バイ5」計画だった。


国際感染症関係論13 治療はどこまで普及したか

 エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染した人に治療のアクセス(機会)を提供する「3バイ5」計画は、どんな成果があったのだろうか。国連合同エイズ計画(UNAIDS)と世界保健機関(WHO)が昨年3月28日、計画の達成状況をまとめた報告書を発表している。
 「低・中所得国でHIVの抗レトロウイルス治療(ART)を受けている人は、2003年12月に40万人だったのが2005年12月には130万人と3倍以上に増えている」という。
 計画は05年までに300万人のHIV陽性者に治療のアクセスを提供することを目標にしていた。途上国(低・中所得国)で病状が進行し、差し迫って治療が必要な陽性者は600万人と推定されている。「せめてその半数には」という目標だ。
 《治療は大きく拡大したものの、初期の目標には遠く及ばなかった。しかし、報告書によると期間中に世界の全地域で治療のアクセスが拡大し、過去1年では1カ月に約5万人のペースでARTを始める人が増えている》
 報告書のプレスレリースはこう説明している。
 《「2年前には、HIV治療の拡大のための政治の支援と予算は極めて限られていた」と李鍾郁WHO事務局長はいう。「3バイ5により、治療へのアクセス拡大のための政策的、財政的な関与が強まっている。将来に向けたこの根本的な変化はHIV/エイズだけでなく、他の病気と闘ううえでも大きな希望になる」》
 この2カ月後に急死する李事務局長は「目標には届かなかったが、失敗ではなかった」と結論付けた。5年前なら「できっこない」と思われていた治療の提供に対し、「何とかしたい」と本気で取り組む気運が途上国にも先進国にも生まれてきたからだ。
 この結果を踏まえ、ニューヨークの国連エイズ対策レビュー総会では最終日の6月2日に政治宣言が採択され、「総括的な予防プログラム、治療、ケア、支援への普遍的アクセス」が次の目標として盛り込まれた。総会に戻る前に「3バイ5」の達成状況をもう少し詳しく見ていこう。

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