フォーラム報告 「まだまだ終わりなき夏」 2

司会 
文化プログラムは会議の中ではどうも隅っこに追いやられがちな印象があるのですが、表現の枠を広げることによって関心を持つ人を増やしていくという意味でも、非常に重要なプログラムです。このAIDS文化フォーラムも、94年にエイズ国際会議が横浜で開かれたときに始まって、今回で12回目ですね。神戸会議の文化プログラムの委員の間では、あの横浜みたいなのをやろうということが一つあったのですが、二番煎じの印象にならないよう「横浜とはちょっと違うもの」といった面も出しつつ、計画を練り、準備を進めました。アートに特化したイベントの背景には、そうした事情もあります。

桃河モモコ
 もう一つ、言い忘れましたが、文化プログラムの中には、会議の展示会場にステージを特設し、会議参加者が、たとえば自分のNGOで開発したパフォーマンスや映像作品を発表するプログラムがありました。17件くらいの発表があり、それは別の委員が担当して7月2日から4日まで実施されました。7シスターズなどコミュニティ側としては、自分たちのコミュニティへの啓発資材としてのビデオとかパフォーマンスを開発しているので、それを共有することも文化プログラムの目的としてあります。


司会
 続いて今回の会議の顔と言われ、組織委員会ではPWA小委員会の委員長をされた長谷川博史さんにお話ししていただきます。長谷川さんには開会式の総合司会を池上千寿子さんとともに担当していただきました。その後、3日間くらいは効力があったと思いますが、廊下などで私が付け人のように長谷川さんの後ろを歩いていると、知らない人も知っている人も長谷川さんめがけてやってきて「ヒロシ!」「素晴らしかった」と握手を求めてくる。4日目くらいからは効力も薄れてしまいましたが、大変な有名人でした。


長谷川博史
 7 th ICAAPは成功したかのように言われていますが、私の認識は違います。本来なら最初の心意気として、陽性者の会議にしたかったというのがありました。テーマが「Bridging Science and Community」です。じゃあ、科学とコミュニティをつなぐものは何か、あるいはそういうものが、なぜ必要なのか。背景にはいろいろな陽性者が、非常に不合理な状況に置かれていたということがあります。
もう一つは、ちょうど2002年でしたか、3by5イニシアティブをWHOが発表しました。当初、神戸会議が予定されていた2003年はその最初の年にあたり、薬にどうアクセスしていくのかということがアジア中で問題になっていたわけです。
私は当時、アフリカのウガンダで開かれた第11回世界陽性者会議というのに参加しました。その会議でWHOの話が出て、アフリカの人たち、アジアの人たちの多くはある種の熱気をもって、その発表を歓迎していました。
私たち日本の陽性者は、アジアの陽性者とつながり始めた2001年、02年には、活動に関し自分たちが非常に遅れていることを感じていたのですが、「来年、つまり2003年に神戸で第7回ICAAPが開かれる。これは非常に重要な会議になるぞ」ということで、そのとき、やっと日本の陽性者の治療の経験が多分、アジアの人たちの役に立つ、ここで役に立てると思いました。
なぜかというと、私たちは恵まれた状態にあって、私自身は1992年からすでに治療を開始しています。いま振り返ると、AZT単剤の非常にとんでもない、やらない方が良かったのかなあというような治療ではありましたが、そのときはそれしかなかった。それで、それをやって失敗して新しい治療につながり、また、そこで成功もして、でも急ぎすぎて失敗し、そういう治療のトライ・アンド・エラーを十数年やってきたわけです。その経験を通し、治療の中で何が大事かということが患者として少しは分かっていた。とくに治療のビジョンを自分たちが持ち、戦略的に個々の患者が治療に対する認識を深めていくことが不可欠なことは経験則で知っていました。それを伝えるいい機会だと思ったのです。
アドボカシーというか、政府と交渉していくためのネットワーク構築やNGO、国際機関との連携といったものに関しては、日本は見事にお粗末なほど遅れている。そのことに私はアジアやアフリカに行って初めて気づきました。
日本が進んでいると思っていたのは医療者の視点で、命を救ってやったのだからお前ら恵まれているじゃないかと思い込まされていたのですね。
ところが、それ以外のことでは、実に日本は遅れていた。タイはすでに5年前に600の患者団体が全国組織を作って政府と治療を進めるための協議をがんがんやっています。
去年のバンコクの国際エイズ会議でタクシン政権から意地悪をされたパイサン・スワナウォンというドラッグ・ユーザーの陽性者がいます。彼がTNP+というタイの全国組織を作ったのですね。いまはすでに代表を降り、タイ・ドラッグユーザー・ネットワークという、また一番、大変なネットワークを作ってがんばっています。
彼らは、もう国が相手にならないから、非常に特例的に自分たちが直接、グローバル・ファンド(世界エイズ・結核・マラリア基金)からお金をもらおう、治療のためにそういう枠組みを組もうという活動もやっています。また、二年前の春先には、製薬会社を集めて世界中の陽性者と一緒に「なぜ薬の値段は下がらないのだ」という交渉もサンフランシスコでしました。
そういう状態の中で、日本の陽性者がやっと貢献できると思ったわけです。治療のリテラシーに関する経験とか、薬害の人たちが国との交渉で獲得した経験則といった方法論を共有できるのではないかと期待しました。
2002年の段階では、治療のリテラシーが必要だ、モニタリングが必要だと言っても「薬だ、薬だ、薬だ」ということで、治療リテラシーの意味が分かっていなかった。まさしく2003年に、私たちはそういうことを共有してアジアの人たちの治療を一歩、前に進められると思いました。
ところが、ICAAPは延期になり、アジアの陽性者に今回、会ってみたら、彼らの意識はこの2年間でまったく変わっていました。いかに治療インフラやモニタリングが大事か、あるいは政府に対し、それを継続的に保障させることが大事か、自分たちがリテラシー、治療に関してのビジョンや戦略を持つことがいかに大事か。もう彼らは今回の神戸会議では知っていました。2年という期間がどれだけ大きかったか、私は彼らの状況の変化を通じて感じました。
それでは、日本はどうやってアジアの人たち、世界の人たちと連携をしていくのでしょうか。彼らから学ぶことがいっぱい残っているから教えてもらいにいこうと私は思ったわけです。
ただし、残念ながら3by5もそれほど進んではいません。あと4カ月でどれくらい進むか。300万人はとても無理な状態ですね。まあ、それでも世界にはがんばって、それを進めていただきたいと思っています。
もう一つ、よく言われるHIV陽性者の施策への参加ですが、GIPAという考えがあって、それを進めてほしい。エイズ政策の決定や予防の現場に陽性者をもっと入れろということです。それがエイズ政策に有効なことは1994年のパリ・エイズサミットですでに提唱されています。単にエイズ対策に顔を与えるためではありません。すでに20年のエイズとの闘いの歴史の中で、2年程度の任期で代わってしまう行政の担当者よりも、HIVの感染から逃れられない私たちの方がある意味で経験や知識が上回っていることがある。もちろん場合によってですよ。すべての陽性者がそうだとは限りません。
そうした経験や知識を生かしていこう、HIV陽性者はエイズ対策の資源であるという考え方が世界中で定着しています。
一方、日本ではどうでしょうか。こうして皆さんの前に顔を出してしゃべれる人はまだ、何十人かしかいない。外に向かってものを言える人はなかなか出てきません。
ただ、この点はアジアで進んだかというと、あまり進んだとは私は思いません。神戸会議のテーマはコミュニティと科学者の間に橋をかけようということでしたが、エイズの問題を考えていくといろいろなギャップがあります。感染した人と感染していないと思っている人との意識のギャップ、医者と患者、ゲイと異性愛者・・・。今回のテーマは、科学と民間、医者と患者のギャップを埋めればいいということなのか。ギャップがそれだけならいいのですが、あげればもっと山ほどあります。
残念ながらHIV陽性者と行政の間のギャップは、その中でも最も深く、日本ではなかなか埋まっていかないようにも思います。
日本には家西悟さんというHIV陽性を公表した国会議員がいます。これは世界でもまだまれなことです。アフリカなどにもいるのではないかとは思いますが、もともと陽性者は社会的には強い立場ではないので難しいのかもしれません。 
そうした中で、パイサンやフリッカの存在があるのです。初めてフリッカに会ったのは彼女が20歳のときでした。APN+のチェア(議長)は男女一人ずつ選ぶのですが、彼女は満場一致で女性のチェアに選ばれた。それくらい彼女がしっかりしていることは、みんな知っていた。いまは23歳で、またがんばって動いています。
行政や国連など国際団体と当事者団体の関係も動いています。国際機関は当事者を使っていくことにかなり積極的です。グローバル・ファンドには、女性の世界ネットワークを作ったケイト・トンプソンさんという方が一時期、重要なポジションで働いていて、日本にも見えました。同じようなかたちでUNAIDSの中にもいる。UNDPとか、いろいろなところも陽性者をちゃんと雇っています。
政府の機関となるとなかなか難しいのですが、実は韓国からちょっと前にMSMの予防の状況を見学に来ました。昔はアンチ・エイズ・フェデレーションというとんでもない名前だったのがコリアン・エイズ・フェデレーションという名前に変わり、なおかつ、その人たちがポジティブかどうかは、あえて私は聞きませんでしたが、少なくともゲイの当事者を3人雇っています。韓国も3年で大きく変わっていました。
韓国、台湾、日本というのは似ていて、これからちょっと大変なことになるという予感もある中で、韓国に学びにいく必要があるのではないかと思います。
行政、政府と当事者の間のギャップは、アジア全体としてはまだまだ埋まっていません。去年の夏、バンコクで開かれたエイズ国際会議が典型的な例で、パイサンが開会式のスピーチをしたときには、1万人くらいの会場に200人しか残っていませんでした。その200人のうち7、8人はJaNP+のメンバーで、最後まで見ようよということで残っていたのですが、非常に象徴的な出来事でした。
陽性者も確かに、集まるとクレーマー集団になりがちで、話が建設的にならないときもあります。でも、ものごとには対抗する部分と目的を共有する部分との二面性が常にあるわけです。いままでは、政府というといつもある部分、敵だった。医者はいつもちゃんとやってくれない人たちだった。そういう対抗的な見方が多かったのですが、HIV/エイズ対策の中ではニューパートナーシップという言葉が最近、よく使われます。まあちょっと違う部分はさておき、力を合わせて目的に向かえるところは一緒に歩いていきましょう。ただし、対立するときは本音で対立してもかまわない。運動の枠組み自体を変えていこうというニューパートナーシップが世界、アジアの中でできているかというと、まだ残念ながら十分ではありません。
神戸ではPWA小委員会が主催し、非公開のミーティングだったのですが、各国の陽性者150人くらいが集まって5つのテーマをディスカッションしました。
1.差別の問題、2.治療の問題、3.陽性者がどう政府に働きかけていくか、人権の擁護を含めたアドボカシーの問題、4.GIPA、どうやって社会参加を進め、政策決定に参加していくかという問題、5.日本の国内の問題の5つです。日本のテーマに外国の人もちょっと参加していました。日本の問題は実は日本語でやったのですが、アジアの陽性者の中には日本で感染して母国に帰っている人もいるということが象徴的に出ています。
その中で、やはり新しい関係とか、新しいパートナーシップをどうやって組んでいこうかということが話されました。
お世辞も半分だとは思いますが、結果的に海外の方からICAAPの悪い評判はメーリングリストなどでは流れていません。素晴らしかった、良かった、よくやったと言われています。ただ、客観的に振り返って、それでは日本の中で果たして橋は架けられたのかというと、どうでしょう。2700人の会議登録参加者のうち、海外からの参加者が2000人、日本の700人にはNGOの人や神戸の地元で普段はエイズの会議に参加しない人もかなり含まれています。そうした人たちの参加は非常に評価していいと思いますが、日本エイズ学会には通常1200人から1500人の先生方、あるいはNGOの人たちが集まる現状を考えると、政府だけでなく、日本の科学セクターの人たちもこの会議には冷淡だったといえます。
私たち患者、あるいはコミュニティと医療者の間には、少なくともまだ大きなギャップがあるし、医療者はそのギャップを埋めようともしない。当分、そこをつなぐ人間は陽性者であるということなら、私たちはそこで身を投げ出し、橋にならざるを得ないのか。当分、その状況は続くのかと思いました。
行政との関係では、厚生労働大臣が会議に出てこなかったことが話題になりました。そのおかげで、海外の人たちには、私たち日本のHIVコミュニティの人間がどれだけ苦労しているのか、よく分かってもらえました。
結論としては、残念ながらギャップはちっとも埋まらなかった。それでも少しは埋まったのかな。とくに関西では意識が高くなったという感じはします。それは良かったと思いますが、課題は山のように残されている。私たちはこれから、私たちというのは陽性者だけでなく、この会場にいる人たちもそうなのですが、そのギャップをちょっとずつ埋めていき、橋を架けて、夏休みだけでなく、エイズデーの周辺だけでなく、2005年の神戸会議の宿題を片付けていきましょう。

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