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zoom RSS 第14回PWA賞受賞者スピーチ「過渡期の時代のエイズアクティビズム」

<<   作成日時 : 2009/04/24 14:26   >>

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(解説) 2009年4月22日夜、東京・四谷三丁目のねぎし内科診療所で開催された第14回PWA賞授賞式における受賞者、稲場雅紀氏の記念スピーチ原稿です。実際のスピーチは稲場さんが授賞式における時間の制約や会場の雰囲気などを考え、用意された原稿よりもかなり短くまとめられました。HATプロジェクトはこの点も検討したうえで、スピーチ原稿の全文を掲載させていただくことにしました。なお、スピーチは稲場さんのブログにも掲載されています。 http://blog.livedoor.jp/pinktri/archives/51546218.html

 


過渡期の時代のエイズ・アクティヴィズム
=固有性の位置から、ある「普遍」をめざして=
                 稲場雅紀

本日は、PWA賞の受賞ということで本当にありがとうございます。また、授賞式にお集まりいただき、ありがとうございます。子どもの頃から、残念ながら賞というものに縁がなく、授賞式のスピーチというのも初めてです。皆様のご期待にこたえられるかどうかわかりませんが、よろしくお願いします。

私が出会った、あるPWAの話からはじめたいと思います。日本でエイズを発症し、アフリカのある国の古都=X市とでもしておきましょうか=に帰国した、ある男性の話です。

とあるソーシャルワーカーの方から、この方のご紹介を受けて、この方が入院していた病院を訪れました。90年代頭に祖国を出て、アジアのいくつかの国で仕事をし、日本に流れ着いて15年、ビザなしで暮らしてきたそうです。体調を崩して、その地域のいくつかの拠点病院に救急車で搬送されましたが、彼がビザなしであることを理由にどの病院も受け入れを拒否。最終的に、こうした外国人の受け入れに消極的ではない、ある病院に入院することができました。重症のカリニ肺炎で、CD4の数値もきわめて低く厳しい状況でしたが、その病院でカリニ肺炎の治療は成功し、体調はある程度回復しました。なんとか帰国できるという状況になりましたが、彼の祖国の治療状況について、病院は情報を持っていませんでした。

私が会ったとき、その方は病院に大変感謝していました。しかし、英語でしっかりとコミュニケーションが取れないことと、帰国してからのあてがないことを心配していました。彼は15年以上前に祖国を出たので、ここ数年のアフリカでの治療アクセスの進展について知らなかったのです。私は、彼の帰国先がX市であることを確認し、ほっとしました。X市にある国立病院は無料でエイズ治療を提供しています。さらに、X市がある州では、青年海外協力隊をはじめ、日本の人的支援が一応、入っています。私はX市で働いているJICAのエイズ担当の方々に連絡し、彼らは積極的に、帰国支援を手伝ってくれることになりました。数週間後、彼は帰国し、エイズ対策隊員の方の協力で、地域のエイズ・カウンセラーに相談することができ、なんとか治療へのアクセスを確保することが出来ました。彼は祖国で生き延びることが出来たのです。

この事例から、私たちが考えなければならないことはいくつかあります。まず一つ目。2000年、今世紀に入ってから、サハラ以南アフリカをはじめとする途上国で進展したエイズ治療へのアクセスについてです。おそらく、2003年までの世界であれば、彼は祖国に帰国しても、治療にアクセスすることはできなかったでしょう。当時まで、途上国ではエイズ治療などという複雑なことは出来ない、というのが専門家の常識でした。アフリカで治療を導入しても、結局、耐性ウイルスの増加に結びつくだけだ、アフリカの人たちには、せいぜいケアとか日和見感染症治療をして、生きられるところまで生きてもらえばいい、ということを公然と言う専門家もいました。一方、多剤併用療法が導入された90年代後半には、「途上国にもエイズ治療を」というHIV陽性者の運動は始まっていました。ブラジルで、タイで、南アフリカで始まった戦いが、2003年、世界保健機関(WHO)と国連合同エイズ計画(UNAIDS)の「3×5」計画、すなわち、2005年末までに300万人に治療を供給する、というヴィジョンに結実しました。今から7年前、アフリカでエイズ治療にアクセスしている人は、わずかに5万人を数えるのみでした。しかし、2007年、アフリカで治療にアクセスしている人口は100万人を超えました。少なくとも、アフリカにおけるこの治療アクセスの拡大は、2000年代の10年間に世界が達成した、最も大きな肯定的な変化の一つです。ちなみに、後で詳しく話しますが、世界は、2005年から6年にかけて、大変野心的な目標を設定しています。「2010年に、エイズ治療・ケア・予防への普遍的アクセスを実現する」というものです。先ほど、エイズ治療の進展を世界の肯定的変化といいました。しかし世界はこの目標の実現には、まったく届いていません。

二つ目。彼が救急車で病院に運ばれたとき、彼を受け入れた拠点病院はありませんでした。彼は、たらいまわしに会い、ある病院の善意で、彼は受け入れられたのです。その病院に善意がなければ、彼はあらゆる医療から放逐されていたことでしょう。その後、彼は最終的に、祖国で行われている治療へのアクセスに成功しましたが、それは、たまたま存在した「善意」の連鎖によるものであって、制度によって保障されたものではありませんでした。「善意」=それは一見、美しいものです。しかし、「善意」の存在の有無が彼の命、彼の生存の成否を左右してしまっていること、ここ日本において、単に入国・在留の「非合法」を理由に、そもそも存在するかどうか、また、存在するとして、それにアクセスできるかどうかもわからない「善意」に委ねられてしまうことに、私は背面の恐怖を覚えざるを得ません。

このグラデーションこそが、エイズを取り巻く人間と、社会の意思の反映であるということができます。彼は先進国である日本ではエイズ治療にアクセスすることができず、基本的な医療を受けるにも、「善意」を当てにせざるを得なかった。しかし、彼はアフリカに帰って、そしてそこで治療にアクセスすることができた。このグラデーションから、私たちは世界がどうエイズと向き合ってきたのか、その政治的意思がどう分布してきたのかを見出すことができるのです。すなわち、我々は大きな進歩を実現した、しかし、その進歩は、まだすべての人に届いているわけではない。そして、その政治的意思には、残念ながら、きわめて大きなムラがある、落ちているところ、抜けているところがある。

このグラデーションをみるとき、私は、次のことを指摘せざるを得ません。すなわち、2005年から2006年にかけて掲げられた=私たちが掲げ、世界が採用した=国際目標、「2010年までに、エイズ治療・ケア・予防への普遍的アクセスを達成する」という目標に対して、私たちが仮託しているものは何か、ということです。2010年までのエイズ治療への普遍的アクセスの達成という、その国際目標が意味していることとは、先ほど紹介した彼のような人間、自分の祖国を何らかの理由で去り、アジアの国々を転々とし、そして日本という国にたどり着き、そしてその国の片隅で、15年間を何とかして生き抜いてきた移民である彼が、もっとも適切に彼の人生を生きられる場所において、その入国の合法性のいかんという、統治者が彼や、彼と同様の状況にある人々にはかることなく決定した法の恣意を超えて、エイズ治療を受ける、その権利を保障するということであるはずなのです。

なぜ、そういえるのか。それは、この10年間の、世界のエイズ治療の進歩、そしてエイズ治療・ケア・予防への普遍的アクセスという目標こそは、国家、統治者の意図をこえて、彼ら当事者の、生きたいという声、生きさせよという声が集合し、こだまし、濃縮して、世界の統治機構たるG8に激突した結果として作り出されたものであるからです。そして、なによりも、世界のエイズとの戦いのこの10年間とは、何よりも、世界でエイズと共に生き、エイズと闘っている人々が、自らの生存の権利を獲得していくプロセスに位置づいていたからです。そして、この目標は、専門家たちの「アフリカでエイズ治療など出来るわけがない」という冷笑、先進国のリーダーたちの、知的所有権を盾に取った、途上国の人々が生きようとすることへの拒絶のメッセージ、南アフリカ共和国の前大統領ムベキを代表とする途上国エリートたちの、金勘定を前提に自国民の生命を犠牲にしていくアプローチ、「我々が望む分だけ、お前らに生きさせてやる」という恩恵主義を、当事者たちが打ち破っていくプロセス、国際保健という統治者の論理を、当事者の「生き延びる権利」という論理へと再定義させていくプロセスの結果として生み出されたものだからなのです。これは、我々の突破口なのです。だからこそ、我々は、自ら手にした「普遍的アクセス」の目標を譲ることは断じて出来ないのです。

エイズの歴史は、いまだ30年を経過していません。しかし私たちは、この歴史を、世界の人々と共有することができます。エイズとの闘いの歴史はそのまま、エイズを無視し黙殺しようとした権力者・統治者たちとの闘いの歴史でした。この歴史の中で、斃れ死んでいった幾多の人々の名前を、私たちは自らとの連続性の中で思い出すことができます。

私が思い出すのは、二人のナイジェリア人の名前です。一人はナイジェリア・エイズと闘うジャーナリスト連合を創設し、ナイジェリアにとどまらずアフリカのエイズに関わるあらゆる運動を結び付けようとした人物、オモロル・ファロビ(Omololu Falobi)。その誠実な人柄を思い出します。かれはナイジェリアの最大都市ラゴスで行われたワークショップからの帰宅途中に、強盗に襲われ、射殺されたのです。

もう一人はオルダレ・オデュミュイェ(Oludare Odumuye)という人物です。彼は極端な同性愛嫌悪に支配されるナイジェリアにおいて、最初にゲイのグループ「アライアンス・ライツ・ナイジェリア」を創設した人物です。私は2002年から彼と連絡を取っていましたが、2005年、首都アブジャで開催されたアフリカ地域国際エイズ会議において、初めて彼と出会いました。豪快な雰囲気にうたれました。彼がこの団体を創設したとき、同志は5人いました。二人はエイズで死に、一人は家族による迫害から逃れて南アに亡命し、ゲイの運動を続けたのは彼を含む二人でした。しかし彼は2007年に死去しました。その死因は明らかにされていません。私が彼の死を知ったのは2008年になってから、あるウェブサイトを調べていたときのことでした。

これら死者たちの名前を思い出すとき、私は常に自らに問わざるを得ません。私はこの世界で、同じ戦線において闘い、そして死んだ彼らに対して、私が生きる日本という国で、恥じることのない生き方をしているのかどうかについて。

今、世界は過渡期に差し掛かっています。世界金融危機を持ち出すまでもなく、それは明らかなことです。そして国際保健政策も大きな過渡期に差し掛かっています。

2002年の設立以来、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)は、エイズ・結核・マラリア対策への資金拠出において巨大な存在であり続けてきました。途上国は、その資金の拡大を当てにして、市民社会、国際機関、二国間援助機関と連携して、三大感染症対策のためのプロジェクトを形成してきました。質が高く、規模の大きいプロジェクト提案書が数多く生み出されました。当然、資金ニーズは急速に拡大しました。しかし、先進国の世界基金に対する資金拠出は、それに見合う形では拡大しませんでした。現在、世界基金は50億ドルの資金不足にあります。この資金不足の解消と、2011年以降の資金補充について、先日、スペインでレビューのための会議が開かれました。世界基金の資金不足を補うために、意味のある規模の資金拠出を誓約した先進国はありませんでした。

これは、感染症対策が後景化し、「保健システム強化」に道を譲りつつある、現在の国際保健政策のトレンドの一つの現れです。

もちろん、途上国において保健システム強化がきわめて重要な課題であることは論を待ちません。しかし、私はその前に、この「保健システム強化」が、どのような文脈において、誰によって打ち出されてきたのかということを考えざるを得ません。端的にいって、私は現在の「保健システム強化」というアジェンダに、また、世界保健機関が、世界銀行が、ハーバード大学が云々という、保健システム強化をめぐる政治力学に、ほとんど魅力を感じることが出来ないのです。

それはなぜでしょうか。私にとって、それは、「誰が『保健システム強化』について語っているのか」ということと不可分です。保健システム強化を語るのは、決まって、政府および国際機関の保健政策の立案者、国家の指導者、そして保健医療の専門家です。その問いは、つねに、決まった額の資金で、どれだけ効率よく人間を生きさせるかという政策論において展開されます。「保健システム強化」は、統治者の側からする効率の文脈、よくても、人を「救う側」にとっての効率の文脈に沿って設定されています。それは、疾病によって死んでいく側、殺される側の文脈に沿ったものではありません。端的にいって、トリアージの文脈での議論にすぎないのです。

私たち市民社会が、「保健システム強化」にまつわる統治者の側の政策論に対して提示すべき政策論は何か。それは、アフリカで下痢症や呼吸器疾患で死んでいく子どもたちの論理、マラリアを発症し、治療が間に合わずに死んでいくアフリカの地方の妊産婦の論理、保健の国際目標にまったく取り上げられていない、たとえば精神疾患に苦しむ先進国・途上国の人々の論理からくみ上げられた政策論です。ホテルや会議場で交わされる、スーツを着た政策決定者や専門家たちの政策論に、命を奪われていくものたちの、生きたい、生きさせよという叫びが届けられなければならない。そうでなければ、「保健システム強化」は、エイズとの闘い、エイズを黙殺する統治者たちとの闘いの中で私たちが、幾多の死者と共に奪還してきた、私たち、そして私たちに連なるものたちが生き延びるための権利を、みすみす彼ら統治者の側に明け渡すプロセスへと転化してしまうのです。

実際に、保健システム強化の現場、エイズへの取り組みの現場を支えているのは、彼らスーツを着た統治者ではありません。我々に連なる幾多の人々、資金にも技術にも恵まれない中で、命の危機に直面した自分の家族、親戚、コミュニティの友だちに寄り添いたいという、都会の片隅の、あるいは街道から外れた農村の人々の意思なのです。保健政策は、あくまでこうした広汎な人々の海に支えられて初めて存在するものなのです。これを揺り動かしていくこと、彼らに決めさせるのではなく、私たちが自ら決定していくこと、その先頭に立つことが市民社会の役割なのです。

エイズと闘う、そしてエイズに対する黙殺と闘う市民社会の運動は、この10年の盛り上がりを経て、今、過渡期に差し掛かっています。「エイズ治療・ケア・予防への普遍的アクセス」の2010年までの実現という、G8が約束した国際目標は、実現する気配がありません。そして世界金融危機の現在、G8は、国際社会は、このような約束の存在自体を反故にしようとしています。実際、この3月、イタリアG8サミットに向けたG8コミュニケの原稿が暴露されましたが、そこには、「2010年までのエイズ治療・ケア・予防への普遍的アクセス」の文字はありませんでした。約束は、故意に忘却されることで破棄されようとしている。にもかかわらず、これを追及しようとする運動は強くありません。普遍的アクセスを求める市民社会の声はか細いままです。

過渡期とは、古い体制が死に瀕し、しかし新しいものは見えない、そのような空白の時期のことです。羅針盤も地図もない中を、私たちは生き延びなければならない。この状況は、わが国にこそ当てはまります。原点を喪失し、歴史を喪失し、「歴史の終わり」の向こう側にあるかに見えるわが国。しかも、羅針盤も地図も持ち合わせないというその事実自体に、この国は気づいていません。しかし、そのわが国においても、時は刻まれています。我々が歴史として認識しない一刻、一刻が、今、この瞬間にも、日本の歴史を生成している=しかし、歴史を作るものたちが本来自覚していなければならないはずの責任は、どこかに置き忘れられたままです。

南アフリカ共和国の作家ナディン・ゴーディマは、過渡期世界について描き出した「空白の時代を生きる」というエッセイにおいて、次のように喝破しました。「もう一つの可能性、つまり経済的、軍事的恐怖のない民主主義の可能性を信じて疑わず、その可能性へと向かって邁進する宇宙的規模の頑迷さを作り出さなければなりません。私たちにそれができなければ、その可能性そのものが、この私たちの時代を最後に、死に絶えてしまいます。」

私たち市民社会が作り出さなければならないのは、ナディン・ゴーディマが言う、ある可能性に向かってまい進する宇宙的規模の頑迷さというものであるといえます。危機の時代にこそ、市民社会は他のあらゆるセクターに先立って、生きさせよ、そして私たちに決定させよという叫びと共に、この頑迷さを作り出し、それをもって世界をリードすることが出来るはずです。なぜか。私たちは、ほかの誰よりも先に、つねに危機にさらされつづけているからです。そしてそれゆえに、この社会が、政治が、ビジネス界が、忘却している「歴史」とそれに対する責任の感覚を、最も早く取り戻すことが出来る存在だからです。私たちが、歴史の中で獲得してきた権利を奪われないために、私たちと、私たちに連なる者たちが生き延び続けていくために、私たちはエイズ・アクティヴィズムを継続させなければなりません。自らの頑迷さを失わないこと、それを宇宙的規模の頑迷さへと育て上げていくこと、羅針盤も地図もない場にあって、羅針盤や地図を持っていないという事実と、自分の一歩一歩の歩みこそが歴史を作るのだというその重みを誰よりも先に自覚しながら、私たち自身の内奥に育てられた頑迷さとともに前へと歩んでいくこと、それが、私たちと、私たちにつながる者たちが生き延びるための道だと、私は信じています。

PWA賞は93年に設立され、現在に至るまで続いています。この賞の16年間の歴史はまさに、道しるべのない中でも私たちが着実に前進してきたことの証しだと思います。この賞の歴史をみることで、私たちは一つの安心を手にすることができると思います。私たちは今後も、過たずに前に進んでいくことができるはずです。

どうもありがとうございました。

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