TRIPs、FTAと治療アクセスに関する地域ワークショップ

(解説)治療を必要とする患者と治療薬を製造する製薬会社の間には、治療へのアクセスの確保と薬の特許(知的所有権)による開発者利益の保護をめぐり、ときに深刻な対立が生じることがあります。世界貿易機関(WTO)のTRIPs(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)はこの対立を克服し、生死にかかわる重大な病の治療が途上国で確保可能になるよう強制実施権(コンパルソリー・ライセンス)の発動を各国に認めています。製薬会社の開発コストの確保を特許のかたちで保護するにしても、公衆衛生上の危機に際しては治療薬を国際公共財と位置づけ、アクセス確保の道を用意しておく必要があるとの認識が国際社会に共有されるようになっているからでしょう。しかし、この強制実施権をもってしても、現行制度のもとでは利害関係者間で解決の難しい問題が存在していることも今回のタイおける強制実施権発動とそれに伴う製薬会社との紛争は示しています。そうした状況を打開するため、国連開発計画(UNDP)とAPN+(アジア・太平洋地域のHIV陽性者のネットワーク)が開催したワークショップの報告です。日本からワークショップに参加した川名奈央子さんから掲載の了解をいただきました。


「Regional Workshop on TRIPs, FTA and Access to Treatment」参加報告
        川名奈央子
          日本HIV陽性者ネットワーク(JaNP+)国際担当
          アジア太平洋地域HIV陽性者ネットワーク(APN+)共同代表

<ワークショップの概要>
2007年5月28日から3日間、タイ・バンコクで「TRIPs(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)およびFTA(自由貿易協定)と薬へのアクセスに関するワークショップ」が、UNDP(国連開発計画)アジア太平洋地域センターとAPN+(アジア太平洋地域HIV陽性者ネットワーク)の主催で開かれた。インド、ネパール、フィリピン、パプア・ニューギニア、タイ、マレーシア、韓国、インドネシア、モンゴル、カンボジア、バングラデシュ、日本から、おもにHIV陽性者が、そして薬へのアクセスに取り組むNGOが参加した。

プログラムは、知的所有権(IP)、TRIPs、FTAおよびTRIPs+についての概要説明と、事例報告という2つのパートから構成された。概要説明は、Third World Networkで、アジア太平洋諸国のこれらの分野の調査や活動を担当している、Sanya Reid Smith氏が行った。彼女は3日間のワークショップ期間中、参加者それぞれの国のIP、TRIPs、FTAの状況を個別に詳細に説明して回ってくれたため、今回のワークショップの参加者は、概要と自分の国の詳しい状況が理解できるものとなった。事例報告では、インド、韓国、タイ、マレーシアの活動を、各国の当事者が行った。これらの一部については、8月のICAAPまでにUNDPが報告書をまとめるとのこと。これらの国々のアドボカシーで学んだ教訓や戦略は、今後、他の国が同じような運動を行うときに必ず有益なものとなるはずで、地域的な連携の重要性が再確認された。

<私たちがとり得るアクション>
HIV/AIDS関連の薬へのアクセスに関して、日本のHIV陽性者である私たちがとり得るアクションは以下であると思われる。
1. 日本が途上国(とくにアジア地域の途上国)と結ぶ経済連携協定(EPA)および自由貿易協定(FTA)が、相手国の薬や治療へのアクセスを阻害するものになりうるかを調査し、そうである場合には、そのような条項の削除や修正を、相手国の市民社会とともに相手国の政府および日本政府に働きかける。
2. 来年のG8サミットに向けたアドボカシーの一部として、G8諸国と途上国が結ぶFTAが、途上国の薬や治療へのアクセスを阻害するものになりうる場合、協定そのもの、あるいはそのような条項の削除や修正を、途上国の市民社会、該当するG8の国の市民社会とともに、当該G8国に働きかける。

<背景>
FTA(日本では一部の国との同様の協定がEPAと呼ばれることがある)がなぜ、薬や治療へのアクセスを阻害するものとなりえるのかを、日本とマレーシアのEPAを例に説明していきたい。

日本とマレーシアの間で2005年12月、「経済上の連携に関する日本政府とマレーシア政府との間の協定」が結ばれた。この協定のなかで、マレーシアの人々の薬や治療へのアクセスに影響を阻害すると思われるのは、第7章「投資」の第74条「定義」の(e)項「投資財産」を定義した部分、第81条「収用及び補償」、第85条「一方の締約国と他方の締約国の投資家との間の投資紛争の解決」である。

第74条「定義」(e)項は以下のようになっている。

(e) 「投資財産」とは、締約国の投資家により、直接又は間接に所有され、又は支配されている全ての種類の資産をいい、次のものを含む。
(i) 企業
(ii) 株式、出資その他の形態の企業の持分(その持分から派生する権利を含む。)
(iii) 債券、社債、貸付金その他の形態の貸付債権(その貸付債券から派生する権利を含む。)
(iv) 契約に基づく権利(完成後引渡し、建設、経営、生産又は利益配分に関する契約に基づくものを含む。)
(v) 金銭債権及び金銭的価値を有する契約に基づく給付の請求権
(vi) 知的財産権(著作、特許権並びに実用新案、商標、意匠、集積回路の回路配置、植物の新品種、営業用の名称、原産地表示又は地理的表示及び開示されていない情報に関する権利を含む。)であって、各締約国の法令により与えられるもの
(vii) 法令又は契約により与えられる権利(例えば、特許、免許、承認、許可)
(viii) 他のすべての資産(有体であるか無体であるかを問わず、また、動産であるか不動産であるかを問わない。)及び抵当権、先取特権、質権その他関連する財産権
投資財産には、利益、資本利得、配当、使用料、利子、手数料その他の投資財産から生ずる収益を含む。投資財産の形態の変更は、その投資財産としての性質に影響を及ぼすものではない。
注釈1 資産が投資としての性質を欠いている場合には、当該資産は、その形態のいかんを問わず、投資財産とはみなさない。投資としての性質には、出資の約束、収益若しくは利得についての期待又は危険の負担を含める。
注釈2 (vii)に規定する法令又は契約により与えられる権利が投資としての性質を有するか否かは、当該権利を与えられた者が締約国の国内法に基づいて有する当該権利の性質、範囲その他の要素による。ただし、このことは、当該権利に関連する資産が投資としての性質を有するか否かについて影響を及ぼすものではない。
注釈3 投資財産には、司法上又は行政上の措置として下される命令又は決定を含めない。

つまり、この条項により、ほぼ全てのものが「投資財産」となり、これには当然、日本の製薬会社がある薬やその成分について、マレーシア国内で特許を取得した場合、それらにも適用されることになる。

特許は各国が承認するものである。各国は独自の特許法を持ち、特許の取得可能性(patentability)に関して、(1)新規性(novelty)、(2)進歩性(inventive step)、(3)産業上の利用可能性(industrial applicability)を考慮に入れて判断する。例えば、日本の特許法の基準はこの3つに対して非常に高い基準が設定されており、既存の薬を新しい使用方法で使用することに関しては特許を認めていない。しかし、一方、米国はそれも特許の対象としており、より多くの特許が認められる傾向にある。

最近のタイのケースで明らかなように、特許が取得されたものであっても、WTOのルールのもとで、政府は強制実施権(CL)を発動することができる。タイの場合は、公共で商業目的でない使用として、エファビレンツやカレトラなどARVを含むいくつかの薬にCLを発動した。一部の新聞で「特許破り」などと書かれているが、これはWTOのTRIPsが認めている正当な権利である。また、同じようにWTOは政府がCLを発動する前に特許所有者と交渉をすることを要求していない。タイ政府は事前交渉をすべきだったと批判されているが、これもいわれのない批判であることがわかる。

さて、WTOのTRIPsのもとでは、このようなCLの発動が認められているが、マレーシアはこれとは別に個別にFTA(日本との場合はEPA)を結ぶことによって、この権利を事実上取り上げられてしまう危険がある。

日本とマレーシアのEPAの第81条には以下のような規定がある。

1. いずれの締約国も、自国内にある他方の締約国の投資家の投資財産に対し、収用若しくは国有化又は収用若しくは国有化と同等の措置(以下この章において「収用」という。)を実施してはならない。ただし、次の場合はこの限りではない。
(中略)
(d) 迅速、適当かつ実効的な補償の支払いを伴う場合
2. 1(d)に規定する補償は、次の(a)又は(b)のいずれか早い時における収用された投資財産の公正な市場価格に相当するものでなければならない。
3. (略)
4. 補償については、遅延なく支払うものとし、収用が行われた時から支払のときまでの期間を考慮して妥当な利子を付する。(後略)

つまり、日本の製薬会社がマレーシアで特許を取得している薬に対して、マレーシア政府がCLを発動する場合には、これに対して「迅速、適当かつ実効的な補償」を「公正な市場価格」で「妥当な利子」をつけて支払わなければならないことになる。また、第85条「一方の締約国と他方の締約国の投資化との間の投資紛争の解決」は、このような紛争があった場合、締約国の投資家、つまり企業が直接、相手国の政府を国際法廷(国際連合国際商取引法委員会)などに訴えることができると規定している。WTOではCLの発動が認められていても、このような厳しい罰則規定があれば、事実上その権利を行使するのは難しい。ちなみに、米国とマレーシアのFTAでは、例外規定として、CLの発動の場合はこのような罰則が適用されないという記述があるとのこと。日本はそれがなく、非常に厳しいものであることがわかる。

<現実的なアドボカシーの必要性と戦略>
以上のように、薬のアクセスを阻害する可能性のある条項がEPAにあるとしても、日本の陽性者としてアドボカシーを行うには、以下のようなステップが必要になる。
1. HIV/AIDS関連薬(ARV、日和見感染症の治療薬など)のなかで、日本の企業が特許を取得している薬があるかどうかを調べる。
2. 日本とFTAあるいはEPAを結んでいる、あるいは交渉中の国で、それらの薬が必要な(あるいは使っている)国を調べる。
3. 日本の製薬会社が自社の薬をそれらの国で特許取得、特許申請しているかどうかを調べる。(申請中の場合には、申請しないように製薬会社に働きかけることも可能かもしれない。)

現実的にどれくらいの薬が該当するのか全くわからないため、これを調べるのは非常に労力と時間を有する。もちろん、薬がわかれば、製薬会社に直接問い合わせることや、MSF(国境なき医師団)や各国の陽性者組織、市民社会と協力して調べることは可能である。ただ、インドネシアで過去に、ある2つの薬が特許をとっているかどうかを調べるのに6ヶ月もかかったことを考えると、その時間と労力に見合った結果が出せるのかは疑問ではある。

また、FTAの内容は一般に調印されてから公開されるもので、交渉過程でそれを知ることはできない。万が一、何らかの原因で文書がリークしてそれが入手できたとしても、文章は非常に専門的であり、法律をはじめ、いろいろな分野の専門家との協力が欠かせない。

ただ、いろいろな障害があったとしても、日本の陽性者として、米国やヨーロッパ諸国が途上国と結ぼうとしているFTAに関しては、注意深く見ていく必要があると強く感じた。例えば、タイと米国が交渉中のFTAでは、特許の有効期間をWTOが定める20年よりも長く設定できたり、特許申請中にそれによって不利益を被る者が異議を唱えられる「Pre-grant opposition」が認められなくなったり、既存の薬の新しい使用が特許の対象になり、これによりある薬の特許がほぼ永遠に有効になる「ever-green」が可能になったりと、HIV陽性者の薬のアクセスを著しく阻害する条項がたくさんある。来年、日本で開かれるG8に向けて、日本の市民社会が行うアドボカシーとして、この問題を入れることは重要であると思う。

4月にアボット社に対して世界中のHIV陽性者組織が行った共同アクションは大きなインパクトを与えた。私たちHIV陽性者自身にとっても、自分たちがイニシアティブをとり、連携と共同してアクションを起こせるのだという自信と、その重要性を認識させる貴重な経験だった。このワークショップをきっかけに、アジア太平洋地域では、IP、TRIPs、FTAと薬へのアクセスに関して、より密な連携と協力が可能になるだろう。私が運営委員会に入っているAPN+も、地域のHIV陽性者ネットワークとして、このような連携を促す役割を果たせるように、今後の関わり方を考えていきたい。

<参考:ウェブサイト>
 Third World Network
http://www.twnside.org.sg/
 Lawyers Collective:インドのNGO。薬の特許に関する訴訟をHIV陽性者とともに行っている。今回のワークショップではHIV陽性者とともにインドの事例発表をした。
http://www.lawyerscollective.org/
 日本・マレーシア経済連携協定(日本の外務省のサイト)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/j_asean/malaysia/kyotei/index.html
 マレーシアのFTAに関するNGOのサイト
http://www.ftamalaysia.org/
 MSF Campaign for Access to Essential Medicines
http://www.accessmed-msf.org/index.asp

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック