ハンセン病

 HIV/エイズ対策には他の感染症対策から学ぶことも少なくありません。ハンセン病訴訟に関する10月26日の産経新聞の主張(社説)です。昨年4月と今年3月のハンセン病問題検証会議の報告書に関する主張も参考までに紹介します。政治のリーダーシップといったものの重要性は、地球規模のHIV/エイズとの闘いでもしばしば指摘されています。

【主張】ハンセン病訴訟 救済実現に政治の判断 2005年10月26日

 台湾と韓国のハンセン病療養所の入所者百四十二人がハンセン病補償法に基づく補償を求めていた裁判で二つの異なる判決が出た。韓国訴訟と台湾訴訟は別々の裁判なので、ありうる結果ではあるが、同じ東京地裁で、しかも、わずか三十分の間に、ほぼ百八十度異なる判断が示されたことには釈然としないものが残る。
 この裁判は、日本統治下の戦前、韓国と台湾で作られたハンセン病療養施設がハンセン病補償法に定める「国立ハンセン病療養所」なのかどうかが争点だった。現地総督府の法令が設立根拠だった韓国の小鹿島(ソロクト)更生園と台湾の楽生院は、日本の国立療養所には該当しないというのが厚生労働省の考え方であるからだ。
 ハンセン病補償法は「らい予防法」に基づく強制隔離政策を誤りと認めた平成十三年の熊本地裁判決を受け、議員立法で作られた。法案の審議過程で韓国と台湾の療養所の状況が把握できず、国外の患者への扱いが法律に明記されなかったために、厚労省は小鹿島更生園と楽生院の入所者は除外されるとして補償請求を棄却していた。
 この請求棄却を違法として入所者らが起こした今回の裁判で、台湾訴訟の判決は補償法を「広く網羅的に施設入所者を救済しようとする特別な立法」として原告の請求を認めた。韓国訴訟の判決は請求を棄却したが、それでも入所者が「差別と偏見」にさらされてきたことには「原因の一端が戦前の日本の隔離政策にあったことは否定しがたい」と言及している。
 四年前の熊本地裁の判決の後、就任間もない小泉純一郎首相は控訴断念を決断し、補償法が生まれた。被害者の救済を急ぐあまり、その補償法の条文にあいまいさを残したことが今回の訴訟につながったともいえる。
 正反対の二つの判決がほぼ同時に出された以上、控訴して争う道はもちろんあるが、原告はすでに平均年齢八十二歳という高齢である。控訴審を待っていたのでは救済の機会すら失われてしまう。
 そもそも判決が二つに分かれたこと自体、手続き論ではなかなか結論が出せないことを示している。ここは政治の判断を明確に打ち出し、救済への道を開く場面なのではないか。



【主張】ハンセン病検証 すべき努力をしていこう 2005年03月02日

 医学的根拠もなく、ハンセン病患者に対する隔離政策が戦後、長期にわたって継続されてきたのはどうしてなのか。その原因を調べてきたハンセン病問題に関する検証会議が最終報告書を尾辻秀久厚生労働相に提出した。
 資料編を除く本文だけで八百八十六ページに達する報告書は、政策決定者や医学界のみならず、法曹、福祉、教育、宗教、マスメディアなどの責任にも言及している。社会が総意として、病に苦しむ人たちの声を聞かず、かかわりを避け続けてきたことが隔離政策を支えたといわざるを得ない。
 検証会議はハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決を受け、厚労相のもとに設置された第三者機関で、全国十三カ所の国立ハンセン病療養所をすべて訪れるなど、隔離の現場をつぶさに確認するとともに、関係者の聞き取りや文献調査を進めてきた。
 報告書によると、ハンセン病と診断された人を全員、生涯にわたって隔離収容しようとした日本の絶対隔離政策に科学的根拠が示されたことはなく、らい予防法が改正された昭和二十八年時点では有効な治療法も存在していたが、隔離政策は継続された。
 さらに隔離政策廃止が世界の趨勢(すうせい)となった昭和三十年代には当時の厚生省が予防法改正を検討しながら断念し、療養所の処遇改善に政策の力点を移した。このことが結果として隔離政策の長期化につながったという。
 ハンセン病医学の専門家、行政担当者の責任は大きいが、同時にそうした意思決定を促す社会的な雰囲気、場合によっては社会的圧力が存在したことも見逃せない。マスメディアもまた、取り上げるべき重大な事態を長期にわたって取り上げることができず、そうした社会的な雰囲気を変えられなかった点を認識し、なぜそうだったのかを分析する必要がある。
 らい予防法は平成八年に廃止されたが、ハンセン病元患者に対する社会的な排除の意識は消えていない。検証期間中にも、熊本県のホテルで宿泊拒否が発覚した。
 報告書は再発防止に向けた提言も示している。患者を社会から排除する隔離政策は人々の心に強い忌避と恐怖の感情を残した。その克服にも当然、長く継続的な努力が必要である。


【主張】ハンセン病 「隔離」の反省生かしたい 2004年04月14日

 ハンセン病患者に対する隔離政策があまりにも長く継続されてきたのはどうしてなのか。「反省も込めて歴史的検証を行う必要がある」という坂口力厚生労働相の国会答弁を受けて作られたハンセン病問題検証会議が、厚労省に中間報告書を提出した。
 ハンセン病は戦後、特効薬の開発で治療可能な病気になったにもかかわらず、わが国の隔離政策は、らい予防法が廃止される平成八(一九九六)年まで続いた。検証会議は一昨年十月、「隔離政策継続の背景と患者が受けた被害の実態を明らかにする」「同様の悲劇を繰り返さないよう再発防止策を提言する」の二点を目的に設置され、検証が続けられてきた。
 最終報告は来年三月の予定だが、中間報告も三百四十二ページにおよび、政策上の問題点や外国との比較だけでなく、医学、法曹、宗教、メディアなどの役割と責任にも言及している。
 なかでも検証会議が強調しているのは、(1)隔離政策廃止が世界の傾向となった昭和三十年代後半、当時の厚生省が予防法改正を検討しながら断念し、療養所の処遇改善に政策の力点を移した(2)戦前から戦後にかけて誤った医学的知識のもとに政策が決定されていった-の二点である。
 (1)では、当時の厚生省担当者が、国会や国民の状況を考えると、法改正は社会復帰の事実を積み重ね、社会の理解を得て行うとの結論に達したことを明らかにしており、現実には処遇改善の予算獲得のため、逆に隔離政策の必要性を強調する結果を招いた。
 また(2)では、ハンセン病に対し長く強調されていた「強い伝染力を持つ」「家庭内の感染が中心」「全治しない」の三点がいずれも誤りであることは、戦後間もない時期にすでに明らかになっていたという。
 昨年秋には、熊本県のホテルがハンセン病元患者の宿泊を拒否していたことが発覚した。患者を社会から排除する隔離政策がハンセン病に対する社会的理解を妨げ、いまも人々の心に恐怖と忌避の感情を残している。
 こうした感情を克服するにはどうしたらよいか。再発防止の観点からも、今後の感染症対策を考えるうえでも、この点は課題としてしっかり認識しておく必要がある。

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