フォーラム報告 「まだまだ終わりなき夏 (神戸会議報告)」 1

フォーラム報告 「まだまだ終わりなき夏 (神戸会議報告)」
 2005年8月6日(土)午後1時-3時、かながわ県民センター
  報告者  樽井正義(第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議組織委員会事務局次長)
        桃河モモコ(組織委員会文化プログラム副委員長、kavcaapプロデューサー)
      長谷川博史(組織委員会PWA委員長、開会式司会者)
     池上千寿子(組織委員、開会式司会者)
補足発言 沢田貴志(組織委員会スキルズビルディング委員長)
        杉山正隆(組織委員会広報担当委員)  
司会   宮田一雄(組織委員会、文化プログラム委員長)
本フォーラムは2005AIDS文化フォーラムin横浜の参加企画として、AIDS&Society研究会議および第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議(神戸会議)組織委員会が共催しました

 2005年7月1日から5日まで、神戸で開かれた第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議(神戸会議)とは何だったのか。フォーラムでは、会議の組織委員として運営に深く関与した(司会を含め)7人のスピーカーにより、準備の舞台裏の話もまじえ、報告が行われた。
 組織委事務局次長の樽井正義氏(慶応大学教授)からは、会議全体の総括をもとに、アジアおよび日本のHIV/エイズとの闘いで何がいま、課題なのかが示された。とくに会議にあわせて公表された国連合同エイズ計画(UNAIDS)の報告書を紹介し、「アジアはいま分岐点に立っている」として、「これまで通りのやり方」ではアジア・太平洋地域のエイズの流行の拡大には対応できないことが強調された。
 パフォーミング・アーティストでもある文化プログラム副委員長の桃河モモコ氏は会場外の芸術イベントkavcaap、クラブイベントinsertについて報告した。なぜエイズ会議にアートイベントなのか。桃河氏は横浜で1994年に開催された第10回エイズ国際会議の際の経験に触れつつ、神戸会議の魅力を語った。
 会議の開会式で総合司会を担当した長谷川博史(JaNP+代表)は組織委のPWA委員長でもあり、HIV陽性者の視点から会議のキーワード「ギャップ」がさまざまなかたちで、日本にも、アジアの他の国々にも存在していることを指摘し、そのギャップをいかに埋めていくかが大きな課題であることを強調した。
 同じく総合司会の池上千寿子氏(ぷれいす東京代表)は2006年12月に東京で開かれる第20回日本エイズ学会の会長に予定されており、1994年の第10回エイズ国際会議、そして今回の神戸会議の成果と反省をもとに日本国内の課題に取り組むことの必要性を訴え、来年の日本エイズ学会への幅広い関係者の参加を呼びかけた。
 第10回エイズ国際会議の横浜開催を機に生まれたAIDS文化フォーラムin横浜で、神戸会議のフォローアップ報告の貴重な機会を持つことができたことは、HIV/エイズとの闘いの持続性という意味でも意義深いものであった。

 以下、フォーラムの詳報です。


司会 
 第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議が7月1日から5日まで、神戸で開かれました。この中にも、会議に参加された人、行きたかったけれど都合があって行けなかった人、あまり関心はなかったけれど面白そうなので今日は聞きに来たという人、いろいろいらっしゃると思います。
 今日はまず、会議の組織委員会の中で活躍されてきた4人の方をスピーカーにお招きしてお話をうかがい、神戸会議とはなんだったのか、成果はあったのか、なかったのか、あったとしたら、今後のエイズとの闘いにどう生かしていけばいいのかといったことを考えていきたいと思います。私は、組織委員会では文化プログラム小委員会の委員長として開会式、閉会式、会場内外の文化芸術関係イベントなどを担当した産経新聞論説委員の宮田一雄と申します。
 最初に閉会式の時に上映された会議の模様を伝える映像をご覧いただき、それから組織委員会の事務局次長として、会議の運営を仕切ってこられた慶応大学の樽井正義教授のお話をお聞きします。

樽井正義
 会議の開会式当日、UNAIDS(国連合同エイズ計画)は新たな報告書「アジア太平洋地域におけるエイズ対策の拡大に向けて」を公表しました。「いま私たちは分岐点に立っている」というのが、その報告書で示されたUNAIDSのメッセージです。二つの道があります。
 一つの道は、これまでやってきたことをそのまま続けることです。これまでだって何もやっていなかったわけではない。それなりの対策はしてきたし、お金も使っただろう。それを続けていこうという道です。
 もう一つは、エイズ対策をスケールアップするという道です。いままでのやり方のままではダメなんだ。HIVに感染する人が急激に増え始めている。新たに治療も始まっている。いまよりも一層の努力をしないと私たちの未来はない。スケールアップするのか、このままで行くのか、その分岐点に私たちは立っている。
 もちろん、スケールアップすべきだというのがUNAIDSのメッセージなのですが、ここで4つの提言が行われています。
 そのうちの一つは、「政府の公約を行動へ」ということです。
 2001年の国連エイズ特別総会ではコミットメント宣言が採択され、その中で各国は2003年には国家目標を立て、2005年までに感染率をどれだけ下げるのかということを決めるという約束になっています。これをたとえば、日本はやっていません。
 それから、国際的にはGNPの0.7%をODAにということがいろいろなところでいわれています。日本が現在、出しているのは0.1%程度です。
 こうした約束を言葉でなく実行しろというのが最初のメッセージです。そして、その約束の中でも、とくに強調されているのが、偏見、差別、そして性差別の克服です。
 もうひとつは日本語で「三つの一つ」と訳されているスリー・ワンズの原則です。
 原則の第一は、それぞれの国がエイズ対策に関して一つの指針を作りなさい。何々省はこういう方向、この省はこういう方向というのではなく、国家全体で一つの指針を作りなさいということです。実施の段階で、役所ごと、NGOごとに異なっているのはいいけれど、全体を調整する機関を作りなさいというのが第二です。三つ目は国内全体がどうなっているのかをきちっと調査し、全体を評価する。つまり、ある政策をとったら成功したのか失敗したのか、きちっと評価する機関をつくりなさいということです。
 日本にあるのは指針だけです。ご存知のようにエイズ予防指針で、これはあります。しかし、調整機関はかつて3回、1987年から現在まで20年近くの間にたった3回、エイズ対策関係閣僚会議が開かれただけで、実質的になんの機能もしていません。評価はエイズ・サーベイランス委員会、いまは動向委員会と呼ばれていますが、それがあるくらいで、政府の政策が正しかったか、間違っていたのか、そんな評価が出るわけはありません。
 日本はHIV感染の報告がこれだけ増えているのだから、対策が成功したなどとはとてもいえません。
 提言の2番目は包括的な対策をということです。予防とケア、治療のバランスをとって対策を進める必要がある。予防に関してはご存知のように、ABCとCNNの議論が延々と続いています。ABCというのはabstinence(純潔)、be faithful(貞節)、condom(コンドーム使用促進)の頭文字。CNNの方はcondom、negotiation skill(交渉力)、needle exchange(注射針交換)の頭文字です。ABCの方はアメリカが大統領エイズ救済緊急援助計画(PEPFAR)で、コンドームを強調するところにはお金を出さない、純潔教育をやっているところには出しましょうと鳴り物入りでやっているわけです。
 アメリカからもお金をもらっているUNAIDSとしては、そういう方向にならざるを得ないのですが、昨年の暮れぐらいからとくに、純潔教育なのか、それともコンドームの普及をはかり実践的な方に行くのかという「あれか、これか」ではなく、それぞれのターゲット・ポピュレーションにあわせて柔軟に包括的に対応して行けというようになっている。そのことが今回も強調されました。
 次に治療の問題ですね。こちらはご存知のように、会議に先立つ6月にジュネーブで3by5計画の進捗状況の最新報告が発表され、冊子自体はICAAPに合わせて作成されました。これで見ると、途上国で抗レトロウイルス治療を受けている人は2004年7月の段階で30万人くらいしかいなかったのに、2005年6月には約100万人に増えている。大体、3倍増です。これは喜ばしいことだが、目標は3by5、2005年末までに300万人だから、これはちょっと不可能だということになっています。
 包括的な対策の2番目として、移動労働者、セックスワーカー、薬物使用者、同性愛者といったターゲット・ポピュレーション、あるいはバルナラブル・ポピュレーションの対策に非常に多くの議論が割かれました。これもUNAIDSの報告書に紹介された数字ですが、アジアのセックスワーカーのうち、きちんと予防の情報を受け取っている人は20%しかいない。薬物使用者にいたっては5%、同性愛者は2%しかHIV/エイズの予防に関する正確な知識を受け取っていません。このバルナブル・ポピュレーションへのアプローチをもっときちんとしろということが、さまざまなところで強調されました。
アジア各地の動向調査では、たとえば、これがタイのラインですが、早く介入した結果、新規の感染はすぐに落ちています。次の緑色がカンボジアのカーブですが、これもドラスチックな介入を行ったので下がっています。これはインドの確かムンバイだと思いますが、介入したからちょっと下がっています。介入していないインドネシアや中国では、じわじわと増え続けている。
 右側は薬物使用者です。タイでは介入が行われたけれど十分ではないので、またカーブが戻っている。他の地域はほとんど対策が行われていない。どんどん伸びています。
 つまり、予防プログラムを強化すればそれなりに減る。しかし、しなければ増える。「しなければ」というのは従来どおりのやり方を続けることです。成功例にならって、他のところでも対策をスケールアップすれば、状況は変わるんです。
 これは成功例のひとつで、カンボジアで薬物使用者に注射針交換プログラムを実施した結果、この赤いカーブのように増えると予測されていたのが、ブルーのカーブに下がっています。
 先ほど言ったようなバルナラブル・ポピュレーションの対策は、どこの国でも多くの場合、健康問題の対象とは扱われず、むしろ刑事政策、犯罪取締りの対象と考えられているので、政府はアプローチの政策がとれないでいます。だから、NGOが対策の主役になっていくわけです。AHRNは薬物使用者、APNSWはセックスワーカー、AP-Rainbowはレズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー、CARAM-Asiaは移住労働者。それぞれの問題に各国で取り組んでいるNGOのアジア・太平洋のネットワークがこういう団体です。
 3番目は市民社会がもっと関わらなければならないということです。とくに、ここではGIPAと呼ばれるHIV陽性者の参加の重要性が強調されています。
 そして、国際社会の優先課題、途上国支援、ODAの強化ということですね。
 財政再建の中でODA予算は減らされています。G7の中で、このところODAが落ち込んでいるのは日本だけです。アメリカやイギリスは増やしてきている。フランスも増やしている。こういう状況の中で本当に国連安保理に入るつもりがあるのか。ODAの数字を見るとちょっと疑わしくなります。
 それはともかく、さっき市民社会の参加といいましたが、それは、陽性者の団体、日本でいえばJaNP+が窓口になっているAPN+とか、エイズNGOのネットワークであるAPCASOといった団体がある。市民社会、あるいはNGO、あるいはコミュニティが中心になっていかなければいけないという話をしましたが、そんなことをいったって、それはどういう人たちなのだという問題があります。
 これは開会式でコミュニティの代表35人が舞台にあがったときの写真です。つまり、私たちの友達、仲間、まったく私たちと同じ人たちです。その7シスターズを代表してスピーチを行ったのがフリッカ・チア・イスカンダールです。インドネシアでは3年前にスザーナという女性が亡くなっています。彼女が亡くなったあと、インドネシアで名前を公表しているHIV陽性の女性はいなかったのですが、フリッカはこの会議で、カミングアウトしました。
 フリッカはスピーチの最後で、「日本のカウンターパートにありがとう」と言っています。その日本のカウンターパートとは何なのかということになりますが、その顔がこの人、長谷川博史さん、そして、ぷれいす東京の池上千寿子さん、開会式の司会をなさっていたお二人です。
こういうアジアのNGO、そして日本のNGO、これが取り組みの中では非常に重要な役割を期待されているわけです。

司会
 次にお話いただくのは組織委の文化プログラム小委員会の桃河モモコ副委員長です。kavcaapというアートイベントと7月2日のinsertというオールナイト・クラブパーティーの総合プロデューサーを担当し、会議で最も忙しかった人の一人です。

桃河モモコ氏
 桃河モモコです。こんにちは。一番、忙しかったわけではありません。みんな忙しかったです。最初に、この中で実際に7th ICAAPに参加された方はどのくらい、いらっしゃいますか。はい、それでは参加されていない方。半々ぐらいですね。
皆さんが何を知りたいのかを知りたくて、お尋ねしてみました。私は文化プログラムの担当でしたので、その部分の報告をさせていただくのですが、その前に私がなぜ、組織委員として会議に関わったのかということを自己紹介的に話したいと思います。
私がエイズの国際会議というものに初めて参加したのは1994年の横浜の第10回国際エイズ会議でした。その意味ではAIDS文化フォーラムin 横浜とも縁が深いと思います。
その94年の時点で、私は現役のセックスワーカーとして初めてカムアウトをし、それをきっかけに自分たちのセックスワーカーのネットワークを作ろうという動きが生まれました。なぜ、それができたのかというと、94年の横浜の会議には、APNSWというアジアのセックスワーカーの人、さらにはアジア以外のセックスワーカーの人が集まっていたからです。私はその頃、国際エイズ会議というものがどういうものか分からず、いったいそこで何が行われるのかも分からず、自分自身が一人のセックスワーカーとして何となく困っていることを言語化すらできないという状態で、他のセックスワーカーたちとエイズ会議で出会ったことにすごく勇気付けられたんですね。
その94年の思い出というか、経験があったので、再び日本で会議が開かれるのなら、今度は自分が、海外から来る人たちにとって会議がそうした出会いの場所となるようにしたいと思いました。それぞれの立場で、陽性者は陽性者として、セックスワーカーはセックスワーカーとして、研究者は研究者として、しんどい状態があり、どうしてもあきらめそうになったり、くじけそうになったりする中で、私は94年に本当に元気付けられましたから、そういう場を作る必要があると思ったのです。
私自身はセックスワーカーであると同時に美術の仕事もしているので、美術作家としての専門技術や専門的なネットワークを活用して、会議参加者はもちろんですが、会議に直接、来ることができない人も元気付けるような働きをしたいと思いました。それが委員を引き受けることになった経緯です。
会議自体は一回、延期になっているので、今回の組織委員はおおかた4年近く準備に携わってきました。文化プログラムは2002年ごろから準備しています。
日本ではまだまだエイズに対する関心が低く、たとえば会場一つ借りるにしても、ボランティアの人たちをお願いするにしても、エイズの流行がどのような状況で、エイズ会議は何のためにあって、こういうことがしたいので、こういうことが必要ですといった説明をそれぞれ一からしなければならない。非常に時間がかかります。また、本番直前に人を集めたのでは、本当に中身のある共同作業はなかなか難しいので、プレイベントを何回か行っていく必要があると思いました。
このため、会議のプレイベントとして2002年、2003年、2004年の3回、そして2005年と足掛け4年間、私たち自身が文化プログラムをやってきました。それを全部、説明する時間はありませんが、お手元にあるのが文化プログラムのこの3年間のあゆみです。これが2003年に行ったkavcaapです。こちらが2004年。そして、これが2005年のkavcaapです。kavcaapは会議会場の外の神戸・新開地で行いました。
クラブイベントの方は2002年のフライヤーがもうなくなっていて、これが2003年の記録です。こちらが2004年で、これが2005年です。
3年間継続したイベントを続けることで、それに携わる人や観客が増えていきました。94年くらいからエイズ啓発活動をしていた以外の人たち、NGO活動に経験のない、とくに若い人を巻き込もうと心がけてきました。
今年のkavcaapでいうと、観客数は6月30日から7月3日までの4日間で約1100人、関わったスタッフが延べ50人から60人。insertはオールナイトのイベントで800人くらいが来ました。それだけの観客およびスタッフの多くは今回のアートイベントやクラブイベントをきっかけに初めて現場に関わることができた。種は少なくとも残すことができたのではないかと思います。それが5年後、10年後の対策の担い手になってほしいという思いで文化プログラムを担当させていただきました。

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